医学部学生さん、初期研修医の方々へ 

医学部学生さん、初期研修医の方々へ 

医療の明日をつないでいくことは、ひとりの医師であり日本国民でもある私にとっても重要なミッションです。目先の手術をこなすプロフェッショナルの採用とは別に,学生さんの日常学習、専攻選択のメンタリングは、広く社会貢献を行う医療法人の務めだと考えています。これをきっかけに何十年後にでも当院で活躍してくれる人財が現れる期待はもちろん、それにかかわらず、若い人財の成長に長期に関与することは私たちの存在意義にもつながります。

今回は、先日開催されたドクターズスタイルでお話しきれなかったこと、ご質問に対する回答をさせていただきます。ずいぶん前に書いた原稿を加筆修正したものですがご参考いただけたら幸いです。サイトを訪問してみてください。主催者である正木稔子先生の想いが詰まっています。

なお、私の医療法人では現役外科医師、麻酔科医師を対象とした手術見学受け入れの他、小学校高学年を対象としたキッズドクター体験も定期的に行っています。今度は4月に開講予定。早3回目となります。

教育とはPay It Forward。私も多くの恩師たちに育てられました。


学生さん、若手医師よりよくいただくご質問とその答え

□初期臨床研修を受ける病院はどこでもいいか?
大筋でYES。大筋と述べたのは、研修病院選びに失敗したとしてもその後よい進路選択をしていけば挽回可能、長期的なキズにはならないというだけの話であって、医者人生の入り口から有意義に過ごしてほしいという願いは変わりません。大きくは出身大学の病院か出身以外の大学病院か市中病院かという選択ですがどれも一長一短。私は市中病院だったのでここでの体験を中心に次に答えます。

□初期研修で得たこと
私が目標としたのは、研修終了して次の病院に入職したときに、「頼りになる下っ端」になっていることでした。独りで当直していても先輩に任せてもらえるような。
いわゆる市中病院だったので、ERの日当直をたくさんやらせてもらえ、コモンディジーズのプライマリケアには慣れることができました。中心静脈カテーテル、気管内挿管、胸腔ドレーンなどの基本手技もたくさんできました。オーベンは厳しかったけど、その分完成されたテクニックを身に着けることができました。
この辺の話は市中病院に軍配があがると思います。後期研修の入り口で手技が不慣れなのは仕方ないことではあるけど、自信が早いうちにもてるほうが気持ちの上では楽だと思います。いっぽうデメリットとしては、大学病院の回りくどい仕組みに馴染めず浮いてしまったことです(;^_^A
私の場合は選択研修の期間の大半を放射線科(3か月)で過ごすことにしたのですが、それが後々に大きな役に立ちました。月曜の朝には週末の日当直帯で溜まった放射線科医未読影の腹部CTが大量に蓄積しています。月曜に限って朝6時に出勤してそのレポートを全部下書きしておく、オーベンが来たら答え合わせをしてもらうことを繰り返しました。重要所見を確実に拾う訓練が集中的にできたのは大きな成果だと思います。
こうして、後期研修最初の病院で、CVカテが単独で施行でき、消化管穿孔や絞扼性腸閉塞も見落としなく報告してくるこの「頼りになる下っ端」は着任早々に大きな信用を得ることができたのです。

□消化器外科に進んだ理由
初期研修が外科系の盛んな病院だったから。最初は手術ができる科なら何でもいいかと思っていましたが、内科ローテ中に患者さんと付き合っていく中で、三大死因の一つである悪性腫瘍に挑戦したいと思い始めました。病院組織内で何かと頼りにされる外科医の立ち位置に漠然とした憧憬もありました。緊急も多く、術後の管理もたいへんとは思ったが、患者の全身状態をみることができるというのも自分に必要と思いました。
この分野は、心外などのように一握りのスターがいればいい世界ではなく、いい医者がたくさん必要な科だよと先輩に言われたことも印象的でした。
でも、学生時代は内科希望だったんです。外科はいわゆる体育会系で束縛を嫌う自分には合わないと思っていたから。結局、某大学の医局に入ったけどやはりその予想はあたってしまい、大学病院勤務は2年しか続かず退局してしまいました。

□大学医局に入った理由
外科専門医取得のしやすさを一番に考えました。その医局は入局したら大学病院の病棟にいきなり配属させることはなくまず、地方の関連病院に2年間出張させてくれます。そこでイヤというほど手術をさせてくれるのが魅力的でした。医局は地域の基幹病院という症例豊富ないわゆる若手にとっていい病院をたくさん抱えていました。
私の場合は幸い、先輩がチャンスをたくさんくれたので、アッペ、ヘルニアのみならず胃、大腸、ラパコレまでやらせてもらえ、最短で外科専門医を取得できました。当時の専門医資格には心臓血管、肺、乳腺、小児、内分泌などの経験も必要でそのローテーションを教授がアテンドしてくれました。そういう意味では大学医局により敷かれたレールは有用でした。

□大学医局を辞めた理由
労働が過酷すぎたので逃げるように…というのが本音です。生体肝移植のチームに配属されていたのですが、この周術期は家に帰れないのもつらかった。そもそも、そヘル、胆嚢、胃癌、大腸癌といったありふれた手術を多くこなすほうが性に合っているので、早くその環境を取り戻したいと思ったのです。しかし、大学組織に属した4年間が無意味だったかというと決してそうではありません。2年間の教育出張では充実した時を過ごしたし、その後の大学病院で習ったことは今でも生かされています。プレゼンのスキルや外科医としての哲学を教わったことに感謝を忘れたことはありません。

□退局後の進路をかいつまんで
東南アジアの医療ボランティアに参加したり、かねてから学びたかった緩和ケア研修を別の大学で約半年受講したりと、自由に過ごしました。その後、知人のつてで民間病院に勤務しました。新しい術式の導入や集患活動にも力を注いだので、大手の医療法人からその実績を買われ、少し好待遇で転職できました。
大学病院では移植医療のような20時間超の長大手術とその術後集中治療を経験し、活動の場を民間病院に移したのちは、そヘルの腹腔鏡化・胃のデルタ吻合による完全鏡視下手術まで自施設でできるようにしたり、高度進行癌の術前化学放射線療法+コンバージョン治療に取り組んだりと幅広く挑戦してきました。約5年の民間病院勤務ののち独立。現在、日帰り手術専門院を運営する医療法人の代表として多くのプロフェッショナルを抱えています。手術のみならず、管理業務にも多くの時間を費やす日々ですが、裾野の広い活動をしてきた半生が今の法人経営や社会経験に生かされていると確信しています。

最後に
「できるけどやらない」というのと「できないからやらない」というのはまるで違うことだよと研修医時代の恩師に言われたことが印象に残っています。この金言を若い皆さんにも贈ります。いろいろ挑戦して納得のできるキャリアデザインをしてみてください。

現在の活動のリンクもご参考ください→医療法人社団博施会の歩み
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